夏だ。暑い。7月初め、梅雨はまだ明けていないけれど、もうどう考えても夏だ。毎日湿気と暑さによりだらあっとしてしまうことが増えた。暑いのは嫌だ、まさに悪だ。私だけでなくクラスのみんなが暑さにやられて日々だれていた。
 そんなみんなのことを見兼ねてか、先生は気分転換にいいだろう、ということで席替えをすることを提案してきた。
 わたしはそのとき、やった!と心の中で叫んだ。というのも、わたしの席は教卓の目の前。わたしからは先生がよく見え、また先生からはよくわたしが見られる、誰もが嫌がるような場所だった。実際に授業中先生とよく目が合って、当てられて答えを求められた。そのたびに何で自分はこの席なんだろう、とこの席のくじを引いた(席はくじで決めるのだ)自分を呪うような思いだった。
 だから今回の席替えのとき、絶対にいい席になってやる!とめちゃくちゃ気合が入っていた。くじ引きであるので完全に運任せなのだが、わたしはほかの誰よりも気合が入っていたと思う。
 そして神様はわたしを見捨てたりはしなかった。くじを引いてその番号を確かめたとき、神様はやはりいるんだ!と心から感謝した。そう、一番窓側の一番後ろの席だった。すでに夏なので日差しが入ってきて暑いのだが、まあそれくらいは許してやろう、と思えた。仲の良い友達も私の席からそう遠くない席で、今回の席替えはいいことばかりで心底神様に感謝した。はずだった。

 わたしの隣の席の人は、男の子だった。今まで話したことのない、高尾くんという人だった。一応苗字は知っている(名前のほうは怪しい)。彼は目立つほうの人で、いつもクラスの中心にいる、にぎやかな人だ。
 逆にわたしは地味なほうに含まれていて、高尾くんとは今まで席も近くなったことはないし接点も何もなかったため話したことはなかった。それにわたしはにぎやかな人が非常に苦手だったため、話したいとも思ったことはなかったし、おそらく向こうから話しかけられることもないだろうと思っていた。
 しかしこのたび隣の席になってしまった。先程言ったようにわたしはにぎやかな人がかなり苦手である。彼らの発するきんきんした大声がうるさくて、もっと言えば耳障りで正直とても不快だ。わたしは本を読むのが好きで教室内で読むことも多かったのだが、そういう人たちがうるさくて集中できないこともしばしばあった。
 ああ、なぜその中心人物のような人と隣の席になってしまったのだろう。絶対関わりあうことのない人だと思っていたのに。神様はやはりいないのか、と心から絶望した。
 まあ隣の席だからと言って、何か会話をしなければいけないという義務はない。しかしもし教科書を忘れてしまった場合など、会話せざるをえない。しかし業務的な会話だ、耐えられる、大丈夫だ。わたしはなんとかなる、そう考えていた。

 初めて話しかけられたのは席替えをした直後。
「これからよろしくね。さん」と高尾くんが人懐っこい笑顔で話しかけてきた。
 わたしは狼狽えつつも、最初だけだから、うん大丈夫だ、と言い聞かせ「…よ、よろしくね」とぎこちなく返した。
 しかし、最初だけではなかった。
 高尾くんはよくわたしに話しかけてきた。
 朝、わたしが席に座って本を読んでいると、「おはよー!」と元気よくまぶしい笑顔で話しかけてきて隣の席に座った。わたしは最初の頃は「お、おはよう…」と戸惑いながら返事をしていたが、今ではもう慣れて「おはよう」とどもることなく、さらに笑顔まで添えて言えるようになった。またわたしが本を読んでいると「何の本読んでるの?」、授業の合間の休憩時間になると「次の授業宿題とか出てたっけ?」などと聞いてきて、そのたびに、お、おう、と戸惑っていたが今ではもう普通に話すことができるようになった。

 高尾くんは、わたしみたいな地味な人間にも分け隔てなく接してくれるいい人だと何度か話してみてわかった。みんなに向ける笑顔と同じ笑顔をわたしにも向けてくれて、みんなに話しかけるのと同じようにわたしにも話しかけてくれる。
 わたしは高尾くんと話す前は、うるさくて嫌な人だという印象しかなかったが、それはまったくの誤解だった。うるさいのは確かなのだが、実際に話してみるととてもいい人で、今までの悪い印象はひっくり返った。
 わたしは最初の頃は会話をすぐにやめたくて、あまり会話が続けられないように内容のない返答をしていたが、今ではそのようなことはまったく思っておらず、むしろ高尾くんはおもしろい人なのでもっと話したいとさえ思うようになった。ちゃんと会話のキャッチボールもしている。
 わたしの対高尾くん会話スキルは著しく向上している。



 席替えをして2週間以上はたった。7月半ばだ。梅雨は明け以前よりさらに夏になった。
 最近、わたしは高尾くんに話しかけられると変に緊張してしまうことが多くなった。正直なところ、自分でも謎だ。
 高尾くんに「おはよ!」と話しかけられるだけで、自分の顔に熱が集まってしまうし、まともに目を合わせることができない。今までは普通に話せていたし目も合わせられていたのに、なぜだろう。
 顔を赤くさせたわたしに「顔赤いけど大丈夫?熱あるんじゃね?」と聞かれ、さらに顔を赤くさせてしまったこともあった。
 一度は著しく向上し頂点まで上り詰めるのではないかと思われたわたしの対高尾くん会話スキルは、なぜか下降しつつある。

 そして今日も今日とてわたしは緊張してしまっている。
 次の授業は数学だが、始まるまで時間があるから本でも読んでいようと思い、机から本を出そうとした。しかし高尾くんに話しかけられ、わたしが本を出すことは阻まれた。


「ねえさん。俺、次の数学でこの問題先生に当てられることになってるんだけどさ、いまいちわかんねえから教えてくんね?」


 高尾くんがこちらに体を向け、手を合わせ頭を下げてそう頼んでくる。
 わたしとしては一向に構わないし、というかむしろ嬉しいとなぜか思っているのだが、たぶんまた緊張してうまく話せない。だが断れないので引き受けるしかない。


「い、いいよ。でもわたしなんかが教えられるのかな…」
「え、だってさん頭いいじゃん」
「全然よくないよ」
「だって席替えする前席が一番前でよく当てられてたっしょ?そのとき全然間違えたりしてなかったじゃん。それにこの前のテストでも上位だったっしょ?貼り出されてんの見たし。俺、ちゃーんと知ってるから」


 にこーっと、いつもの輝くようなまばゆい笑顔の高尾くん。
 わたしは、一瞬固まってしまった。何で高尾くんが知っているのだ。そのときは一度も話したことのない仲だったのに。わたしは高尾くんとちゃんと話す前は、高尾くんのことは苗字くらいしか知らないレベルだったのに。
 高尾くんは前からちゃんとわたしのこと見て、知っていてくれていた。
 え、うわ、何だろ、すごく嬉しい。わたしは心の中で動揺する。何でこんなに嬉しいのかよくわからないし、高尾くんのことまともに見られない。


「高尾、くん、」
「ん?」
「そんなこと、知ってたんだ。わたし高尾くんと隣の席になる前、全然高尾くんのこと知らなかったのに。強いて言えば高尾くんの苗字くらいしか知らなかったのに。なんか、すごく嬉しい。ありがとう」
「それひどくね!?」
「ごめんて」


 高尾くんは爆笑していたが、やがて静かになって真面目な顔をしてわたしのほうへ顔を向けた。


「…ずっと見てたよ」
「何を?」
さんのこと」
「え、」


 どういうこと、とわたしの言葉は声にならず宙に消えていく。
 ま、今はこれくらいでいっかな、と高尾くんがいつものきらきらまぶしい笑顔ではなく、にやっとしたしたり顔で言う。
 全然理解できない。最近のわたしはいつもそうだ。高尾くんに何か言われるたび、戸惑って心が乱される。それにあのきらきらの、まぶしい笑顔を向けられると心臓がどきどきして、緊張して何にも考えられなくなる。
 何なんだこれは。夏だからか。暑さに当てられて変になってしまっているのか。頭がおかしくなって高尾くんの言っていることを理解できなくなっているのか。夏だから、昔より高尾くんの笑顔がきらきら輝いているように見え、高尾くんがくれる言葉一つ一つがきらきらしているように見えるのか。
 そうか、すべてはあの太陽のせいなのだ。わたしの顔が赤いのも、夏の太陽のせいに違いない。くそう、夏よ、許さない。


きららか

(このどきどきの正体に心当たりはあるけれど、認めてしまうのは何だか悔しいから認めてやらない)


(140826)
title:金星さまより


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