わたしの幼馴染である赤司征十郎は、いつだって遠い存在だった。
 幼い頃のわたしはまだ何も知らなかったため、馬鹿みたいにいつも征ちゃん征ちゃん、と赤司の後ろをついて行き、また彼は隣にわたしを置いてくれた。そのときから赤司は頭がよくて何でもでき神童と呼ばれるような子供で、それに比べてわたしは馬鹿でどんくさくて、何もできないただの凡人だった。けれどそれを気にしたことはなかった。おそらくそれは赤司が何でもできることを鼻にかけたりせずわたしと普通に接してくれたこと、自分が何も知らない馬鹿だったことが理由として挙げられよう。
 いつからだろう、その圧倒的な身分の違いとも言えるべき差に気づいたのは。おそらく中学に入ってからだ。
 赤司は入学式で新入生代表として挨拶をし、容姿端麗成績優秀であることからまず注目の的となった。そして強豪であるバスケ部に入りすぐに一軍に昇格し、さらに色々な人の目を集めることとなった。と同時にいつも赤司と一緒にいるわたしにも好奇の眼差しが向けられた。中学に入ってからもわたしと赤司はいつも一緒にいて、征ちゃん、と呼び、、と呼ばれていたため、まあそりゃあそういう関係だと思われても仕方がなかったのだろう。「あの子、赤司くんの何?」「赤司様とは釣り合わないことを自覚しろっつーの」など、主に女子からひそひそと陰口を叩かれいつも心の中で、全部聞こえてるわ!!と叫んでいた。けれど表面上何も聞こえていないふりをしていつも素知らぬ顔をしていた。
 また、女子から屋上や人気のないところに呼び出され、「ちょっと赤司くんに近づかないでくれる?あんた全然釣り合ってないんだよね。赤司くんが困ってるのわからないの?」「あんた赤司様の何なの?征ちゃん、とか気安く呼ばないでくれる?」と嫉妬で醜く歪んだ顔と強い口調で言われたこともある。「何であなたにそんなこと言われなきゃならないんですか」とわたしが少し言い返すとさらに女子たちは顔を歪ませ、腕を高く振り上げ頬を強く叩いてきて、結果わたしの頬は赤く腫れ上がり友達や赤司に心配された。「その顔、どうしたんだ」と赤司に聞かれたときに「ぼーっと歩いてたらちょっとぶつかっちゃって」とありきたりな言い訳をしてばれただろうか、とわたしは不安に思ったが、赤司は納得したのかしていないのか「そうか」と短く答えた。そのときは追及されずにほっとしたが、聡い彼はすべてわかっていたんだろうなと今さらながら思う。
 そういうことがあって小さい頃にはまったく気がつかなかった、いやただ単に自分が馬鹿で頭が悪かったからなのだが、赤司と自分の間にある圧倒的な差に気がついた。彼にはあらゆる才能があり、というかできないことはないと言ってもいい、どんなことにおいても彼は一番だった。逆にわたしはどの分野においても輝かしい才能を発揮することはなく、これといった取り柄もない、ごく普通の平々凡々とした人間だった。
 女子からの陰口、呼び出し頬パンはさすがのわたしも堪え、赤司と距離を置くことに努めた。まず「征ちゃん」という幼馴染特権のような呼び方を「赤司」とみんなが呼ぶように苗字呼びに変えた。また、登下校を共にする習慣があったが、それも自らいろいろ勘違いされるからやめようと彼に言い、わかった、と承諾を得て一緒に登下校をすることはなくなった。
 そうして疎遠になってしまった。それまでは毎日顔を合わせていたのに、クラスが違うこともあり会うことは少なくなった。そのときに小さい頃からずっと一緒にいたのにこんなにもあっけなく関係は壊れてしまうのか、と諸行無常、万物流転を身をもって実感した。
 赤司と距離を置いてからというもの、わたしの学校生活は円滑そして快適なものになった。しかし寂しさと胸の痛みをいつも感じていた。ずっと赤司と一緒にいたから、彼がいない生活に慣れていないだけだろうと最初は思っていたが、それが長く続くと自分の思いにも自覚せざるをえなかった。わたしはまぎれもなく赤司のことが好きだった。しかし気づくのがあまりにも遅すぎた。元々あった圧倒的な差に加え自ら距離をとったため、赤司はずっとずっと遠くへ行ってしまった。いつの間にか、遥か遠い存在になってしまっていた。自ら離れたので元はと言えば自分のせいだが、もう泣くしかなかった。
 中学3年の冬、わたしが教室で本を読んでいると突然赤司が今日一緒に帰らないか、と声を掛けてきて久しぶりに下校を共にした。正直どうして、と疑問しか湧かなかったが、赤司に誘われたこと、久々の一緒の下校であったことにより、胸がじんわりと温まっていくような幸せを感じた。隣同士で歩いているときにぶらぶらさせていた左手が彼の右手に当たったとき、咄嗟にごめんと謝ったが同時に嬉しさを感じた。小さい頃普通に手を繋いでいたこともあったのに、今ではこんなことで嬉しいと感じる自分に少し呆れて心の中で自嘲気味に笑った。しかしふいに赤司が京都の高校に行くことを打ち明けた。わたしは頭が真っ白になりひどく呼吸が苦しくなった。その後わたしが何を言ったのかは覚えていない。
 いつもそうだ。気がつけばいつだって、気が遠くなるほど離れてしまっているのだ。彼は星のような存在で。手を伸ばしても絶対に届かなくて、掴めなくて―――。わたしは気がつくのがいつも遅いのだ。その日家に着いたあと、わたしはやはり泣くしかなかった。わたしが赤司の後ろをついて行くのはもう無理だったし、引き留めることもまた無理だったからだ。行き場をなくした感情がいくつも重なって涙となって流れ落ちた。わたしは赤司のことはもう忘れようと決意した。
 中学3年の3月、卒業式で彼は壇上に立ち、卒業生代表として挨拶をした。卒業式が終わったあと、彼を遠巻きに見ている女の子が多くいたがその視線には一切目を向けず、遠くにいるわたしのほうへずんずんと歩いてきて話しかけてきた。「ずっと渡しそびれていたが、これ」と渡されたのは小さく折り畳んである紙で、開けてみると電話番号とメアドだった。どうして、と小さく呟いたわたしに、離れてしまうから、と赤司は柔らかな声音で言った。それからいついつの新幹線で京都へ行くから、と丁寧に教えてくれた。わたしは意図がわからず再び、どうして、と呟いた。に見送りに来てほしいんだ、と赤司は目を細め優美に微笑んだ。久々に見る彼の笑顔に、赤司ってこんな顔で笑うんだっけ、と呑気に思った。
 その後わたしは電話番号とメアドを登録しないままでいた。彼のことは忘れたはずなのに、登録してしまうのは自分に対する裏切りだと思ったからだ。だけど赤司にもらった紙は自分の家の机の引き出しになくさないよう大切にしまった。あんなことを言われると少し期待してしまう自分がいて、なんだか嫌になった。忘れようと決意したはずなのに。もう忘れたはずなのに。
 わたしはついに見送りには行かなかった。もう忘れたと思ったから、いや、会ったら本当に忘れられなくなると思ったから。その日わたしは涙が枯れてしまうんじゃないかと思うほど泣きに泣いた。自分で会わないことを決めたのに。自分が本当にしたいことと違う道ばかりを選んで、勝手に傷ついて終いには泣いている。馬鹿な奴だ。つくづくこんなに不器用な自分が嫌になる。もう二度と赤司と会うことはないのだろうと思った。生きているかぎりまたどこかで会える、とよく言うが偶然で会う確率などかぎりなくゼロに近いから無意味な言葉だとわたしはいつも思う。互いに会う約束をしなければ永遠に会うことはない。わたしが一方的に赤司の連絡先を知っているだけで、赤司はわたしの連絡先は知らない。おそらくわたしから赤司に連絡をすることはないだろう。連絡をするには、あまりにも遅すぎたからだ。今さらしても、叶うことはないことをわかっているからだ。いや、傷つくことが怖かったんだ。わたしは勇気がない臆病者だ。
 わたしは東京の高校に進学した。中学のとき仲が良かった黒子くんと同じ、誠凛高校である。わたしは普通に友達を作って、普通の女子高生らしい日々を過ごした。毎日それなりに楽しかった。けれどもわたしはまだ赤司を忘れらないでいた。忘れたふりだと、わかっていたんだ。わかっていたんだよ。けれどももう遅いんだよ。いつも何もかもが終わったあとにわたしは気づく。全部自分が傷つかないようしてきたことだ。自ら赤司を遠ざけて、だけど赤司に近づきたくて。救いようのない馬鹿だった。



 高校1年の夏休み、お盆の前。夜、夏休みの宿題をこつこつやっていたとき、突然わたしのケータイに知らない電話番号から着信が来た。わたしは誰だろうと不審に思ったが、一応出ることにした。


「もしもし」
「僕だよ、わかる?」


 電話口からあの懐かしい柔い声が聞こえた。一瞬驚いて電話を落としそうになったが、強く握って、わたしはあの日と同じように小さく、どうして、と呟く。


「いつもはどうして、と聞くね。理由はそんなに大事かい?」
「なんで」
「今度は何で、か。僕がの電話番号を知っていることが不思議かい?」
「だって、教えてない」
「テツヤに聞いたんだ」
「どう、して」
「どうしてだと思う?」


 わたしは戸惑って何も言えない。赤司から突然電話があったこと、なぜわざわざ黒子くんに聞いたのかということ、他にもいろいろな疑問が湧いてきては言葉にならずに心の中に積もっていく。そんな困惑したわたしとは違って電話越しでもわかるくらい赤司は余裕綽々だ。


「明後日、帰省するんだ。あとで細かい時間を教えるから改札口まで迎えに来てほしい」
「え、」
「あのときは見送りに来てくれなかったね。寂しかったよ。だから今度は来てほしい」
「待って」
「何だい?」
「赤司はどうしてわたしに構うの」
「理由が必要かい?」
「どうして嫌いにならないの」


 違う、こんなことを聞きたいわけじゃない。こんなに可愛くないことを言いたいわけじゃない。けれど、赤司と話すと本当の気持ちと裏腹のことしか言えなくなる。本当に言いたいことは、そうじゃなくて、こんなことじゃなくて。
 少し間を置いて、赤司は余裕を含んだ穏やかな声音で、わたしの質問に対する回答をする。


「きみを好きだからだよ、ずっと」


 電話越しに、卒業式後に会話したときと同じように彼が目を細めひどく優しい顔で微笑んでいることが想像できた。わたしの両目には涙が溜まり、溢れんばかりになりついには流れ落ちた。わたしは馬鹿だ。大馬鹿だ。今までずっと忘れたくて、忘れられなくて、こっちから連絡することもしなかったのに、この言葉をずっと聞きたかった気がする。自分からすべてを断ち切って、自分からアポイントをとることもせず勝手に泣いてきた、のに。ずっと赤司という遠く離れた星に手を伸ばしてきた。届かないことを知って、絶望して。でも、ようやく届くんだ。手も、思いも。


「もう一度言おう、。迎えに来てはくれないか」


 わたしが電話越しに泣いてしまっていることが伝わっているのだろうか。赤司は柔らかい声で聞いてくる。彼のその質問の答えを、わたしは知っている。もう、間違えたりしない。


「行くよ」


 わたしが今まで泣いてきた日々は、もしかしたら今日に繋がっていたのかもしれない。



スーパー・ノヴァ




(140903)
♪スーパー・ノヴァ / 古川本舗



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